印象で見るという事は、全体で見るという事

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人は人を全体で見ている

図を見るとわかりますが、人は、人を見た時の情報を、脳の処理できる範疇にまとめるので、たくさんの情報が詰まっているそれを、要約して認識します。
「素敵だな」あるいは「素敵じゃないな」そのくらいざっくりです。
だから、洋服の色とか柄は、目に入っても、それだけではその人のことを認識しない、素敵な洋服を着ているのだとしたら、相手の表情や立ち振る舞いや、目に見えないものまで含めた色んな情報を総合して、そこではじめて洋服も素敵に見えてくるという流れです。

いくら高級ブランドの、センスの良い洋服を着ていても、不幸そうな表情をして、猫背で、もじもじしていて、何が言いたいのかわからなくて、自分を持っていない人だったら、素敵には見えませんよね。むしろブランドの服を着ていることで、痛々しくさえ見えてくる。

だから、実のところ、洋服を着替えるだけでは本当の意味で印象を作り出すことはできないのですが、似合うものを着るという事が、まず小さな自信を作り出しますし、少なくとも人前に出る安心感に繋がります。
コミック「服を着るならこんなふうに」の中で、ファッションに悩む男性がセンスの良い妹と買い物に行こうとする場面で「服を買いに行くための服がないんだ」と頭を抱えますが、要するに「自信がない」を表した、かなり的確なあるある表現だなーと感心しました。
裸で行くしかないと言っているわけではなくて、ざっくり言えば、パーカーとジーンズしかないよ、という事ですよね。

似合うものを着ると、似合わないものを着ている居心地の悪さがなくなり、自分のことを気にしなくなることで心に余裕が出てきて、外に出る事が楽しくなる。相手との会話に集中できるし、余裕が出てきます。これは日常のコミュニケーションにも言えるし、面接やプレゼン、婚活、人生の多くの大事な場面でパフォーマンスを発揮するのに役立ちます。

それは時に、好きな洋服を着る以上に大事なことかもしれません。毎日似合う服を着て生活しなくても、人生の大事な場面で自分の着るべき似合うものを知っておくだけでも、人生が少しイージーモードになる気がします。

自分は自分を点で見ている

日本人は、本当に地味好きですが、実は地味でシックなのが好きなのではなく、経済の状態と未来への不安を大きく反映しているのだと思います。
枚数を多く買えないから着回しのきく1枚を、流行が変わっても着られるように、賢く賢く、世の中も「賢く着回す特集」など、そういった情報に溢れています。

多くの人は買いたい洋服を見つけた時「可愛いなー」の後に「着回しできるかな」などと考える傾向があります。自分のお金をどう使うかにとって大事な場面です。家計を圧迫しないかなとか、似たようなアイテムあったかな、と、頭をフル回転させて。
さらに人によっては、もう年齢的にこれは無理かな、太ったしな、目立たないよう無難な色にしておくか、グレーなら安心。と、どんどん内側に気持ちが向いていきがちです。

逆に、その洋服を着て、合うバッグを持って出かける、誰かと会っている、歩くスピードはどんな感じか、自分はどんな表情をしているか、着心地は軽いか、そういう、その服を着て生活をしている場面をできるだけリアルに想像して買う人は少ないと思われます。

実はそのイメージこそとても大事で、他人が自分を見ている時のイメージに近い視点(客観的)になるので、フラットな洋服選びができるようになります。他人からどう見られるのかを気にする人こそ、この視点で服選びをすると、大きく外れることは少なくなっていきます。
そして、良いイメージを描けて買えたものは、本質的で、長く使うことになりやすいです。好きな洋服があれば、それに合わせたコーディネイトをするので、着回しなんて考えなくても、自動的に何度も着ることになっているはずです。

個人的には、着回しがきく事(あるいはそれを考えること)が本当に賢いことなのでしょうか?という疑問があります。そりゃ、着る回数が増えるとなんとなく経済的な感じはしますが、着回しがきくというのはイコール「印象の弱い、可もなく不可もない」アイテムだということを考えると、得られるものが少ないそのようなアイテムにお金を出す事が本当に経済的なのでしょうか?