年を取ると似合わないものが増えるのはなぜか

この記事は約3分で読めます。

気に入って着ていたはずの服が、ある日突然似合っていないように感じる瞬間は、40歳を過ぎている人なら経験があるかもしれません。
カジュアルに着ていた街着が、部屋着にしか見えなくなったり、若作りに見えたり、それに気づいた瞬間、その洋服は着られなくなります。

数秘で言うと、パフォーマンスナンバーは生まれた時から一生変わることはないので、その人の持つ印象の本質が変わるわけではないと言えます。
ただ、若い頃は張りや艶で隠されていた、その人が本来持つ印象の特徴が、年齢を重ねるごとに表面化して、良くも悪くも個性が際立ってきます。 当然似合うもの、似合わないものがはっきりしてきます。

似合うものはより似合うということが認識されやすくなり、似合わないものはより顕著に似合わなくなってくる、という現象が起こります。

そして通常、鏡を見て似合わないことを認識した時、なんとかこの状況を理解しようとして、人はその理由を考えます。
つまり、感じたショックを自分の知っている知識で「年齢のせいかな」とか「太ったせいかな」と言語化しますし、何となくそれで決着もついてしまうのですが、それでは未来がありません。 年齢なんてどうしようもないことだからです。
ところが、似合う似合わないは年齢や体型、美醜、個々のセンスとは全く関係ないところで起きています。 特に個々のセンスとは言いますが、素敵かどうかを決めるのは見ている側なのだから、装う側ではなく、むしろ見る側にセンスが必要なのではないでしょうか。

事実、海外の、例えばパリのシニアの女性などで、決して若いわけでも痩せているわけでもないのに、カラフルで美しい洋服をトータルで着こなしている方などを見た事があるかもしれませんが、非常に好ましいと感じたこと、ありませんか?
それをまた「だって外国人だから」「私はそんなセンスないから」と、自分にはできない理由を探してしまうかもしれませんが、もしそれが、似合うものを知っているからだけなのだとしたら?

このブログは女性を中心に書いていますが、男性でももちろん同じです。 カジュアルな装いが年齢とともにだんだんだらしなく見えてきたり、くすんで見えてきたりするのは、単にこれまで似合うものを着ておらず、加齢によってその特徴が表面化してきただけなのかもしれません。

似合うって自分のためだと思う人も多いかもしれませんが、もともと人のためのものだと私は考えています。 結婚式の時にノーメイクがNGだというのも、相手を想って、祝福を華やかにするという意味からくるマナーだと思います。
マナーというと窮屈だと思ったりするかもしれないけれど、自分の主張を抑える事が相対的に相手へ祝福の意を表す、という結婚式の意味に繋がるわけですね。

周りへの配慮ができるのが大人なのであるならば、自分が何を着てどう振る舞うかも、その場に影響するのだから大人の指標となるのではないかと思うのです。

また「洋服なんて似合わなくても良いわ、よくわかんないし」というざっくりな方も、人から馬鹿にされたり、安っぽく見られて上から目線で扱われたりするのは好まないと思います。似合う洋服とは、使いようによってそういうことを避ける、自分の身を守るためのものでもあるのだと思っています。